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ヴォーリス展in近江八幡1
近江八幡では今日まで「ヴォーリス展in近江八幡」が有り、
ヴォーリスの設計の1つ駒井家住宅に行った折にパンフレットを見つけて、
ある晴れた1日行って来ました。

総合受付が白雲館、こちらの建物は趣が有って良い感じなのですが、
ヴォーリスの設計とは違います。
近江商人が子弟のために建てられた八幡東学校跡。
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2Fにヴォーリスの生い立ちからYMCAを通じて伝道師として派遣されたところが
近江八幡でした。
ヴォーリズの人物像と多岐に渡る活動分野(伝道、建築、教育、医療、事業)の概要を
見ることができます。
2Fから日牟礼八幡宮をのぞいたところ。展示物は撮影禁止、外の景色はOKです^^
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旧八幡郵便局舎
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写真を撮っても良いところと、禁止の住宅があって、
ヴォーリスの住む人のための心地よい空間が撮れませんでしたが
こちらは撮影Okで、先日の駒井家と同じ紫の取っ手がありました。
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近江兄弟社学園ハイド記念館(旧淸友園幼稚園)
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1931(昭和6)年、ヴォーリズの妻、一柳満喜子が園長を務めた淸友園幼稚園の
園舎として建設されました。
建設費を寄付したメンソレータム創業者のハイド夫人を記念して、
ハイド記念館と呼ばれています。
クリーム色のスタッコ壁に白い窓枠、赤い瓦が可愛らしく、
ヴォーリズの特徴がよく出ています。
が、木の影になって赤い屋根が見えていません トホホ・・

当時不治の病であった結核療養の先駆的存在となった近江サナトリアムを設立するなど、
医療分野でのヴォーリズの活動や功績を紹介します。
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ヴォーリズ記念館(旧ヴォーリズ邸)
1931(昭和6)年に建築され、ヴォーリズ夫妻が池田町の家を出た後、
ここに移り最後まで住んだ住宅です。
外観は質素ですが、下見板張り、両開きの窓、暖炉の煙突などに洋風を感じさせます。
婦人のために日本の生活様式にあわせて畳、囲炉裏をしつらえてありました。
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ヴォーリスに縁のある住宅を尋ねる町並みには独特の町屋が見られ
静かな佇まい、今も昔と同じように人々の生活が営まれています。
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甍の波も う~ん なかなか♪
八幡瓦もこちらの名産。
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街角の案内の指示に従い次に参ります。
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アンドリュース記念館(旧八幡YMCA会館)
近江八幡YMCAはヴォーリズが来日してから始めた聖書委員会が発展し設立されました。
1907(明治40)年に竣工した最初のYMCA会館は、建築家ヴォーリズの処女作。

写真は有りませんが、内部の作り付けの椅子がアームが楽に置けるカーブの木の作り
背もたれも斜めに板を張った体に優しい作りになって、
写真に撮りたい素敵な螺旋を描くヴォーリスのスケッチで起こした椅子。
卓球用に使えたり食卓テーブルにも自在に大きさの変えられるテーブル。
などがこのアンドリュース記念館に有りました。
現在は、『いきいきサロンヴォーリズ』として、
近江八幡市の介護予防拠点として活用されています。

え・・?お腹がすいてきましたか・・では少し引き返して
お肉屋さんのレストランに行ってみましょうか
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近江の名産には近江米・近江牛・赤こんにゃく・丁稚羊羹・湖魚佃煮 等があります。
長文読んでいただいてありがとうございます。
続きは長くなりますので又後ほど。
by tosa4351 | 2009-11-03 19:17 | あちこち
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