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まちなか福助3 山口家住宅
戦火を逃れた旧市街地北部に江戸初期に建築された町屋、山口家住宅が有ります。
近隣農村の庄屋を務め、奉公所と町方・村方をつなぐ役割を担っていました。

山口筋と言われた山口家住宅の南面の間口が広く取られ、間口によって
税金が課せられた京都の町屋の造りとは趣を異にします。
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丸太梁
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柱は礎の上に乗せて地震の際の振動を緩和します。
防火面から江戸後期に板葺きや茅葺から瓦葺きに変えられました。

土間にカーブを描いたへっついを復元してあり、最も大きい釜は蒸すためのもので、
わずかな水で食品を調理する知恵が生かされています。

福助さんはこちらにも沢山並んでいました。
中でも目を引いたのは
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お顔の大きい木彫りの人形。藪内佐斗司さんの作だそうで
ご本人のお顔にも似ていらっしゃるとか、せんとくんもこんなお顔ですね。

もてなしのお部屋、茶室・水屋・待合も整えられていました。
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手入れの行き届いた御庭には升が2重にデザインされた、益々繁盛のしゃれで縁起を担いだそうです。
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最後に堺アルフォンス・ミュシャ館へ「図案のすすめ」
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堺のマンホールのデザイン
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堺が古代から水陸交通の要で国内外の影響を受け産業を発展させて
今に繁栄しています。
今度は他にも色々興味を持って訪ねてきたいと思いました。

観光レンタサイクルの感想は街の歩道が広くとってあり、自転車道も含まれて快適。
小路には車は殆ど出会うことが無かった。割合平坦な街で変速は一度使ったぐらい。
サイクルを返却する場所が2ヶ所と限られていて、
借りた元の案内所まで帰るのが難なぐらいでした。

by tosa4351 | 2018-01-22 21:43 | あちこち | Trackback | Comments(2)
まちなか福助 2
堺伝統産業会館でランチの場所をお聞きすると近所のパン屋さんを紹介されました。
お店はパンと喫茶の表示はあるだけでしたが、他にはいなかったお客が次々入って来られた。会話からとても家庭的な雰囲気であることが分かります。
サラダランチの食事後、支払いの時にご自分の先生の作品の絵ハガキを頂きました。
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堺のお話しの中で布団太鼓を今度は是非見に来てくださいと。
喫茶を後にして七道に向かいます。
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 堺環濠都市の中でも特に北部地区は、第二次世界大戦の戦火を免れたことから、重要文化財の山口家住宅をはじめ町家や寺社などの歴史的な建造物が多く残っており、包丁や線香など伝統産業との職住一体の生活様式が見られる地区です。
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薫香の看板のある店舗は時代劇にも使われ
鉄砲鍛冶屋敷には西南戦争に多くの鉄砲が取引された記録が残っているそうです。

清学院
山伏清学院の名もある修験道の寺院としての歴史を持っています。
江戸後期から明治初期にかけては清光堂の名で寺子屋として地域の児童の学びの場となっていました。
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不動堂
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by tosa4351 | 2018-01-21 16:34 | あちこち | Trackback | Comments(0)
まちなか福助
堺市の新春まちなか福助人形展を巡りに行きました。
南海線の堺で下車、観光案内所でレンタサイクルをお借りして出発。
元は市民病院の跡地に堺にちなんだ千利休と与謝野晶子の記念館 さかい利晶の杜。
向かいの千利休の跡地に井戸が残されています。
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釣べは重そうに見える金属でした。
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ビルの陰で風が強くなって、さかい利晶の杜へ入りました。
別嬪さんのお福がいます。
丁寧にお辞儀されてお顔が見えない福助さん。
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沢山の福助人形は足袋の福助の会社が収集した福助人形を堺市に寄贈、折々に公開されているそうです。
阪堺電軌阪堺線沿いを走るとご存知和菓子で有名な与謝野晶子生家跡に。
レンタサイクルは日ごろ馴染んだママチャリです。
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ほどなく堺伝統産業会館へ
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16世紀堺はわが国最大の海外貿易港商業が盛んで絶えず方々からの諸国相互市場のような所であって様々な産業が発達しました。
包丁は古来より周辺の古墳群を作るための集落が有り鍛冶技術が発達する基礎が有ったと思われます。
16世紀にポルトガルからタバコが伝わりタバコの葉を裁断するタバコ包丁が産業として発展の基礎が確立されました。
2Fにはあらゆる分野の包丁が並んでいます。
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刃物のほかに線香、和晒・ゆかた、敷物、昆布、自転車、鯉幟、和菓子等。
こちらにも福助人形。
産業会館では和菓子と昆布をお土産にしました。
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つづく


by tosa4351 | 2018-01-20 10:45 | あちこち | Trackback | Comments(0)
四万十川
明治初期に四万十川の支流から周辺の4つの村に灌漑用の分水路を作り、田んぼに水をくみ上げるための水車が各地に設置されたそうで現在観光用に再現されました。
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雨季の季節には周辺が紫陽花で彩られるとか。
水車を見ていると地元の方が沈下橋を説明してくださいます。
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佐田沈下橋
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岩間沈下橋
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近くに寄ってみると去年の台風21号の被害で橋脚が陥没しています。
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子供の頃は高知市内の鏡川でも沈下橋がごく身近に見られましたが現在は有りません。

四万十川はずいぶん蛇行しているのがカーナビで良くわかりますがトンネルで現在はショートカット。
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ひと頃は日本一暑い日が有った江川崎 41℃!
周辺が緑豊かでもフェーン現象で暑くなるのでしょうか。
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道の駅「よって西土佐」でお昼にしました。
次に息子の希望で海洋堂ホビー館四万十。
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長時間のドライブ母は疲れなかったかしら・・
運転している人が疲れたんじゃない?と、お返事。
すっかり日が暮れて高知市内に帰ってきました。
夕飯は司で鰹のたたきや鯖の姿寿司。高知を味わいました。

by tosa4351 | 2018-01-08 20:51 | 土佐のこと | Trackback | Comments(0)
2018年の始まり
大晦日に知恩院に行ったときに年を越しました。
今年も宜しくお願いします。
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年末に母から電話が有って、お正月2日に帰省するでしょう?と言いますが、
その前の電話で2日は私の子供たちの家族が来るので2月に帰るつもり。
と伝えたのが2が頭に残っているようです。

2日は娘息子の家族がやって来て孫のかるたで賑やかに過ごしました。
息子が8日まで正月休みで、あくる3日から急遽主人と息子が車の運転を交代しながら帰省してくれることになりました。



3日の夕方元気な母に会って、4日はお出掛けの大好きな母とドライブです。
息子は四万十川の沈下橋を見たいという事で四万十中央ICまで高速道路を走ります。
土佐佐賀から海岸線に向かう途中で井の岬展望台に立ち寄ると
この日は室戸岬と足摺岬が見えました。
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つづく

by tosa4351 | 2018-01-07 16:39 | 土佐のこと | Trackback | Comments(0)
30年ぶりの八坂神社・知恩院
関西に転勤で引っ越して来た折に年末に知恩院の除夜の鐘を見に行きました。
あれから30年!
思い立って知恩院や八坂神社に行ってみることにしました。

家を31日の22時に出発、最寄りの阪急京都線に乗ると若者がいっぱい!
河原町で下車、四条大橋も外国の観光客も沢山出かけています。
南座を右手に白川の方角から知恩院へ向かいます。
知恩院から八坂さんに回るのが人通りが少ないかと判断。

知恩院前の白川の辺りで除夜の鐘が聞こえ来ました。
知恩院に着くと、警備員やロープで仕切られて20時に開場、22:40から
鐘撞開始。
23時過ぎのその時にはすでに定員超過で締め切られ知恩院に入ることすら
出来ません。
写真の右からまだ100mほど南に列が並んでいます。
30年も経っているのですから様変わり、以前は普通に入れました。
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気を取り直して円山公園に向かうと
公園側から知恩院には入れません。
公園の端にある長楽館は素敵な洋館、食事やお茶が頂けます。
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長楽館から中村楼へ下り、八坂さんの南門に行くと警備の方が出口専門と説明。
更に下ります。
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バス通りまで下ると八坂さんには入る道は閉ざされ、花見小路まで降りて下さいと。
河原町通りは歩行者天国になっていますが交差点毎に南北方面に車が往来。
目の前の八坂神社に行くのはとても無理!
諦めて電車の人となりました。良かれと思ったコースは空回り。
時代は変わりましたね。
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くりむちゃん只今~。といつもです。
「なぁ~に」
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by tosa4351 | 2018-01-01 20:43 | あちこち | Trackback | Comments(0)